音楽は対比の芸術である~音大出身のゴーストライターが語る音楽概論
この記事の執筆者は、音楽講師でゴーストライターのTobeyさんです。 | ![]() |
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音楽は対比があるから美しい
音楽は対比の芸術だと言えます。高い音があって低い音がある。長い音があって短い音がある。木管楽器があって弦楽器がある。大きい音があって小さな音がある。主旋律があって対旋律がある。ドミナントがあってトニックがある。器楽曲があって歌曲がある。アリアがあってレチタティーボがある。
しかし、近年の世俗曲は全て「歌と伴奏」だけになってしまっている上、上記の様な音楽の根本がほとんどなくなってしまっています。イントロは短く、あるいはそこにも歌が乗っていて、間奏らしい間奏もなし。最近の歌番組はほとんどがカラオケなので演出に困るとか、カラオケで人々が手持ち無沙汰になってしまうが故、音楽の魅力をいとも簡単にスポイルしています。
何の訓練も受けていない自称歌手に歌わせるために音域も狭い。何の勉強もしないで「コンピュータから音楽に入ってきました」とのたまう素人同然の自称作曲家によりずっと同じコード進行の繰り返し、且つトニックだらけ。
生演奏はあってもあまりにも稚拙なディストーションギターだけ、音圧を上げるためにコンプレッサーを深くかけるので音の強弱もなし。バスドラムも4つ打ちなのでリズムの喜びもなし。歌詞もみな同じで、どれも要約すると「一人じゃない」になる。
そのような音楽でも、人々は歌い、踊り、感動します。大事なのは歌手の容姿および話題性であって、音楽それ自体はどうでも良い時代になってしまったのです。
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音楽講師・ゴーストライター Tobey 音大卒業後、音楽講師を勤めながら各クライアントのゴーストライターとして活躍している。 | ![]() |
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